Wish You A Happy Life
降り積もる 雪に未来を 踏む私


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身勝手な願い

難病と闘病中の
友達の犬の具合が

いよいよ思わしくない

腹膜炎を起こし
腹水が溜まっていて

肺には
血栓ができているらしい

膵臓が腫れていて

何らかの感染症ということで
細菌の特定のために

検体を出して
結果待ちをしていたが

あまりに容態の変化が早く
担当の獣医師さんも

手の施しようがない
ということ

肺の血栓を取り除く処置も
不可能ということなので

今と系統の違う抗生物質を
今日、点滴で入れてもらい

大好きだった家へ
連れて帰ってあげるらしい

夜には

親しかった犬や
飼い主さんを家に呼んで

みんなに会ってもらいたい

今にも泣きそうな声で
友達はそう話してくれた

人だろうと、犬だろうと

大切な友達が
大切に思っている家族は

僕にとっても
やっぱり大切な存在

歳を取れば病気をする
いつかは寿命が来る

それが 「命」 というものだと
分かってはいても

納得しきれずに
胸が詰まる

こんなに苦しいことが

日常的に
世界中で起こっているのなら

すべての生き物が
繁殖などしなくていいから

歳をとることなく
死んでいくこともなく

傷付けあうこともなく
生きていられたらいいのに

そう思ってしまう

たとえ、身勝手な願いだと
人間のエゴだと

言われても。

時の迷い子

月が変わって

今年もあと
残すところ二ヶ月になった

年が明ければ
母が死んで二年になる

僕は
相も変わらず、僕は

進む方向も分からず
時間とお金ばかりを消費して

父のお陰で
生活に困ることもなく

憂鬱な毎日を
遠くから眺めるようにして

社会の外側から
社会人になりすまし

「当たり前」 に生きる人々と
つながりを持っている

この時間を
清算する時は

いつか必ずやってくる

その時、僕は
どんな顔をすればいいだろう

どんな風に
これまで過ごした時間に

「理由」 を付ければ
いいのだろう

あれこれと
考え続ける日々に

不安になりながらも
安定剤をひたすら飲み下す

なんだか

「良い一年だったな」 と
自信を持って言えなくて

そんな自分が
もどかしくて、歯がゆくて

情けない。

いつかの背中

昔の自分の背中を
幻に見ながら

人生は粛々と進み

非情にも
僕の命と時間を

削ぎ落としていく

天井を見つめる
僕の頭の中に

たくさんの
過去に対する 「もし」 が

浮かんでは
打ち消されていく

僕はどこかで
道を踏み誤ったのだろう

けれど

それが
どこだったのかは

僕自身には分からない

幸、不幸なんて
安っぽい概念ではなく

「死に向かう者」 として

生きている今
どのように生きるのか

それが問われているような
気がする

季節は巡り
大好きな冬が来る

今年もあとわずか。

生温い息

音楽を聴きながら
椅子にもたれて

アルコールが抜けた後の

何とも例えようのない
苦い気持ちを噛み締めた

眠るべきなのだろうが
とくに眠いわけでもなく

ほんの数メートル先の
ベッドに移動することすら

面倒で仕方ないので

このまま椅子の上で
自然に眠ってしまいたいと

都合のいいことを
ぼんやりと考える

大きな苦しみを
乗り越えるたびに

これで終わればいいと
願うけれど

その次も、また次も
苦労は降りかかる

みんなも
こんな苦労の中で

生きているとしたら

こんな時には
どんな独り言を

呟いているんだろう

乾燥して流れた涙と
溜め息が飽和した部屋

もうそろそろ
今日を、リセット

そんな時間。

厭世の果て

酷い倦怠感の中にも

食事の時間は
いつも通りに訪れる

昨日、買ったまま
食べ残したハンバーガー

これは
まだ食べられるだろうか

そんなことを思いつつ
発泡酒に口を付ける

酒もクスリも

この世界に取り巻く
ありとあらゆる煩わしさや

空虚や、孤独や、哀しみを
消し去ってはくれない

隠れては現れ
現れては隠すゲームは

重苦しい厭世観の中
果てしなく続く

人生とは
緩やかに死に向かうこと

その意味を
少しずつ分かり始めている

自分がいま
誰よりも、何よりも

怖い。

命、輝いて

友達の飼っている
犬の調子が思わしくない

現在は
かかりつけの動物病院と

東大病院で
治療を受けているが

膵臓、肝臓、腎臓、CRP
あらゆる検査値を聞いた限り

予断を許さないほどに
とんでもない数字

無いコネで必死に
症例や治療法に関する

文献や論文を漁っても

何も手助けが出来ない自分が
もどかしくて、涙が出る

急性膵炎を起こしていて
PLIは測定不可能な値

腎臓のほうも
BUNが 100を超えている

しかも今日は CRPが
16まで上がったとのこと

複数の臓器が
限界ギリギリのようなので

どこか一点が崩れたら
ガタガタといってしまわないかと

とんでもなく不安になる

東大病院のほうの
主治医の先生も

経過はもう
その子次第としか言えないから

覚悟はしておくように、との
コメントを出したらしい

飼い主である友達はもちろん
病気のワンコも苦しいだろう

犬は飼い主を思い
飼い主は愛犬を思い

こんなにも引き合っている
大切な家族が

どうして悲惨な現実に
翻弄されていくのだろうと

理不尽に思えて仕方ない

生き物だから病気もする
いつか寿命だって訪れる

けれど今は、少しでも

二人の上に
幸せな時間が降るように、と

一心に祈る
祈ることしかできない。

限界の後ろ姿

人間関係に振り回され
母の命日も近付く中

ウツがどんどん酷くなり

何もする気がしなくなる
自分に怯える

何を見ても楽しくない
誰と話すのも面倒で

もし
この部屋に棺桶があれば

その中で
音の無い静かな空間に

ただ、天井だけを
眺め続けていたい気分

安定剤と酒を
とめどなく流し込み

案の定
居眠りをしてしまったけれど

こんな 「気休め」 で
事態が解決するわけもない

まったく

厄介な病気と
共生しているものだと思う

精神的にタフな人は

どれほど周囲が
ゴタゴタしていても

平気なのだろうか

それとも
強く見える人も

タフそうにしているのは
人前だけで

本当は泣きたいような
夜もあるのだろうか

「憔悴」

それ以外に
適当な言葉が見つからない

疲れた
ただただ、疲れた

しばらくは
何も考えたくない。

変貌する僕

「勝手だね」

今までで一番頭にきた、と
軽率な僕の文章を責める

友達からのメールが

酒とクスリで揺れる視界に
突き刺さった

自分が話したいときは
時間構わず電話するくせに

忙しいときには
「自分の時間が欲しい」 と言う

昔、誰かにも
同じようなことを言われた

他の友達も

めったに本音を
語ってはくれないけれど

相当数の人は
僕に対して

同じ気持ちを
感じているのだろう

僕は、持病に影響され
健康な頃と比べると

確実に

「僕ではない何者か」 に
変貌してしまった

自分が粉々に砕かれ
ジグソーパズルのように

パラパラと
剥がれ落ちていく感覚

気配りを欠いた
メッセージのやりとり

友達に宛てた
一通のメール

友達は怒っただろう
がっかりしているだろう

悲しくなっただろう
辛くてたまらないだろう

腹が立っているだろう
呆れかえっているだろう

無意識の時間の中で
エゴに浸食される自分

もう、今の 「僕」 が
一体誰なのかということすら

見えなくなってしまった

僕はどこに行けば
何をして、何をしなければ

ここに存在していることを
赦されるのだろう

今、この目に映る何もかも
すべての人間関係が

怖くてたまらない

知らないうちに
気配りや思いやりを忘れ

薄汚れていく自分自身が
怖くて、卑しく思えて

たまらない。

帰宅病

深夜
オーダーストップに追われて

小休憩のために
両手で大事そうに抱えていた

ドリンクバーの
コップをテーブルに戻しながら

ふと、考えた

楽しみにしている
遠足などのイベントが近付くと

いわゆる
「遠足病」 になってしまう

それなら

イベントが終わって
家へ帰る道程のそこここには

その内容が
楽しく、思い出深いほど

イベント前の
ドキドキした気持ちの

反対の気持ちが
待っているのではないか、と

数年ぶりに新幹線に乗り
東京へ出掛けて

普段とは

比べものにならないほど
よく歩き

動き回り
その上、睡眠不足の僕を

家まですぐそこの

しかも、閉店前で
お客さんもほとんどいないような

ファミリーレストランの
いちばん奥の

しかも隅っこの席に

隠れるようにして
座り込ませていたのは

まさに
一連の旅の名残を惜しむような

「帰宅病」 とでも呼べそうな
その感覚ではないだろうか

見慣れた自分の部屋が
まるで、知らない場所のように

しっくりと来ない感覚も
きっと、同じもの

それだけ自分にとって

楽しくて
良いイベントだったのだから

別に 「嫌な気持ち」
というわけではないかな

さあ、髪を梳かしたら
冷たい水でも飲もう

新しい朝が始まる。

無機質な世界

目まぐるしく変動する
人間関係の中で

時の流れや
人生というものの一部として

人間関係に
振り回されている

自分がふと
ハッキリ見える瞬間が

最近は多くなった

自分の意志
自分のポリシー

そして
ものを見る角度やスタンス

それは

僕が僕であるためには
決して変えられない

その一方で

自分に合う人や
合う人間関係だけを残し

合わない人を
取捨選択的に切り捨て

排除していく過程が

精神的に
とても心苦しかったりもする

僕は

静寂と精神面の穏やかさを
何より重視するから

たとえ
周りに人がいなくなっても

多少の淋しさを感じつつも
満足していられると思う

けれど

一度築き上げた
人間関係というものは

長く続けようと努力するにしても
ひと思いに叩き壊すにしても

必ず、何かしら

ある種の
「うしろめたさ」 を伴う

それは

僕が
他人に興味を持たず

ただ、ひたすら
自分の気の向くまま

その時していることに
熱中しているということの

証明でもあるのだけれど

人間関係に
疲れ果ててしまったら

SNS や Twitter なども含め

あらゆる
「人と関わる」 用途には

ネットを使わなくなる気がする

この先どうなるのか
それは僕にも分からないし

今はまだ
考えたいとも思わないけれど。