現状を理解することは、
達観することでも卑屈になることでもない。
目の前にある生々しい世界を
そこにあって当然のものとして受け入れることで、
それは思考の結果というよりは、
むしろ、直感の産物である。
Wish You A Happy Life
降り積もる 雪に未来を 踏む私
現状を理解することは、
達観することでも卑屈になることでもない。
目の前にある生々しい世界を
そこにあって当然のものとして受け入れることで、
それは思考の結果というよりは、
むしろ、直感の産物である。
行き詰まったとき、不安になったときには、
泣きながらでもいいから
無理矢理、笑ってみればいい。
行動すべきかどうか迷ったときには、
見当違いでもいいから、動いてみればいい。
それが、生きるということ。
前へ進んでいくということ。
人を好きになって、
相手を傷つけないということはあり得ない。
だから、誰かを愛するためには
その人を傷つける覚悟が必要であるし、
自分が愛されたいと思うなら、
同時に傷つく覚悟もしなきゃいけない。
愛だの恋だのという感情は、
自分の心や生活に欠けている何かを
補うために抱いては絶対にいけない感情だと思う。
愛だとか恋だとかいうものは、
純粋にいまの自分を前へ前へと前進させていく
強い推進力として大切にしてこそ、
初めて人生において
その意義や価値を持つ体験だから。
嫉妬だのヤキモチだの束縛だの、
そんなものは本当の恋でも愛でもない。
本当に愛したいなら、愛されたいなら、
細かいことに心を揺らさずに、
相手の一番の理解者になろうとする姿勢が大切だと思う。
人を愛することは罪悪ではない。
人を愛せないことも罪悪ではない。
人に対して興味を持てないこと。無関心でいるということ。
ただ、それだけが罪悪である。