自分の見ている世界と人の見ている世界は
こんなにも違うんだと気付かされることがよくある
自分のものさしで話をすることは
その相手の世界観を踏みにじる行為だと思う。
Wish You A Happy Life
降り積もる 雪に未来を 踏む私
自分の見ている世界と人の見ている世界は
こんなにも違うんだと気付かされることがよくある
自分のものさしで話をすることは
その相手の世界観を踏みにじる行為だと思う。
大切なひとを本当に大切にしているか
ときどき自分に問うてみることが大事
自分では大切にしているつもりでも
相手がそう感じていなければ
独善に陥るのだから。
自然の流れに逆らって
生きようとするから苦しくなる
「なるようになる」
ただそれだけを心に持っていればいい。
世界というものは必ずしも
真実の姿そのままに見えているわけではない。
自分が感じて解釈する世界には
自分が 「こうあって欲しい」 と思う願望が
織り込まれているものであり、
客観視をするためには
その同じ世界が
他人の目にはどう映っているのかを
意識しながら生きる必要がある。
仲良くしているとき
人はその相手と 「気が合うのだ」 と錯覚する。
だが
本当にその相手と上手くやっていけるかどうかは
意見が食い違ったり、誤解が生じたりした時に
相手がどのような対応をするかで
初めて分かる。
「こんなにも好きになってもらえた」
という喜びは確かに大きいものかもしれない。
けれど、
「自分はこんなにも人を愛せるんだ」
と気付いたときの喜びは、
それを遙かに上回る。
挨拶や、礼儀や、マナーや
思いやりや、気配りは、
すべて 「相手のために」 存在するもの
だから、そういったことのどれかが欠けている人は
相手の立場でものを考える習慣が無く
基本的に 「自分のため」 になるかどうかで
物事を判断する傾向があり、
残りの
いくつかの要素についても同様に
持ち合わせていない人であることが多い。
恋がしたい、恋人が欲しい。
そういう部分を出発点に選ぶこと自体が
そもそもの勘違いだ。
周りをよく観察してみれば分かるはず。
いわゆる 「モテる人」 っていうのは、
恋愛対象よりも「異性の友人」を大切にする。
そして同性からも慕われている。
「モテそうに見えるのに意外」 というのは、
つまり、そういうこと。
別れることが怖いから恋愛はしない
そんな風に言い訳をする人とは
付き合わないほうがいい。
人間は誰ひとりとして例外なく
死という全てとの別れに向かって
生きている。
その現実を直視する強さのない人に
人を愛し抜く強さは備わっていない。