人間は、外から見て感じ取れる人柄とはまったく異なる、
別の顔も個性として合わせ持っていることが多い。
少しでも相手のことを知ろうと努力する人はみんな、
表層ではなく、むしろ影に隠れている色々な要素を
真剣に洞察している。
Wish You A Happy Life
降り積もる 雪に未来を 踏む私
人間は、外から見て感じ取れる人柄とはまったく異なる、
別の顔も個性として合わせ持っていることが多い。
少しでも相手のことを知ろうと努力する人はみんな、
表層ではなく、むしろ影に隠れている色々な要素を
真剣に洞察している。
一人の人間が
誰か他の人間のことを理解したと感じたとしても、
それはただ 「理解したつもり」 に
なっているに過ぎないことが多い。
人間は一億年かけても、
お互いを完全には理解できない。
だからこそ、ありとあらゆる発言、態度、
表情、雰囲気などをしっかりと観察して
「理解している」 という傲慢に陥らないよう
気をつけなければいけない。
人間の人生において確かなものは 「生」 と 「死」 だけである。
既に生を受けている人間にとって確かなことは、
「いつかは死ぬ」 ということだけであり、
そう思えば、
何もかもが小さなことに思えてくる。
真実はどんな場合でも一つだが
嘘が単一の層であることはむしろ少ない。
僕たちは多くの場合、
幾重にもコーティングされた嘘の表面の
一番手前の一層のみを見ているに過ぎない。
愛されるために愛するんじゃない。
愛するから、愛されるんだ。
必要とされるために生きるんじゃない。
必要とされるに足る人物になるために生きるんだ。
真実は、それを見ようとする者にしか見えない。
その他大勢の群衆にとって、
真実は時として悪意に映ることさえあるだろう。
悲しみは、ある日突然どこかからやってくるように思えるけれど、
その種を蒔いているのは全部自分自身なんだ。
そう考えたら、喜びの種を蒔くことだって、きっとできるはず。
喧嘩をしたり
意見が衝突したりする相手がいることは
幸せなこと。
不幸なのは、むしろ誰からも忘れ去られ、
誰と関わって良いか分からない状態だと思うから。